必要性

ずっと歌に執着してきたけれど

そんなものは必要無かった。

歌は全部ボカロなりなんなりに

歌わせればそれによって評価が得られた。

それで良かった。それが嬉しかった。

 

最初からそうすれば良かった。

なぜ気づかなかったんだろう。

薄々は気づいていた。

何度も他人に指摘された。

それでも知らないふりをした。

もっと良くすればいいだけだと

自分に言い聞かせた。

 

自己主張が激しいわけでもなく、

特別これといって

表現したいことがある訳でもない。

訴えたいものもない。たまにできたとしても

全部 文字で済んだ。Twitterで済んだ。

私以外に歌わせれば済んだ。

 

ただの目立ちたがり屋だけど

やっぱり歌いたい喋りたい声を使いたいと

自分に言い聞かせてきた。

嘘だ。"だけど"以降が要らなかった。

 

誰かが少しこちらを向いてくれれば方法なんて

なんでも良かったんだ。

だから曲を作って満足した。

いや厳密にはしてないけど

"満足した"とは思った。

 

最初から私が歌う必要なんてなかった。

私の声である必要もなかった。

私の歌詞も曲も編曲も演奏も

私じゃなくても出来ることだけど、

それしか○マルを付けてもらえなかった。

私じゃなくてもいいのに。

でもその○を取ったらマルが0になってしまう。

それは嫌だった。

何がなんでもそれは嫌だった。

 

だから我慢した。

「曲"も"良い」ではなく、「曲"が"良い」と

言われるのを我慢した。

「歌詞"も"良い」ではなく「歌詞"が"良い」と

言われるのを我慢した。

その「良い」も 99.999%お世辞ではあるけど

私の声にお世辞でも「良い」は付かない。

その差だった。

 

私の曲が私以外が歌った方が評価されるものなら

そうするしかない。

根本にあるのは"目立ちたい"というそれだけだから。

だからまた我慢するしかない。

 

詩なんてマジで誰でも書ける

メロディなんて音を繋げばそれでOK

アレンジなんて理論通りやればいい

 

全部適当に考えてやれば出来ることだから

全体的に見たら秀でている訳では無い。

というかその界隈の中で、その年齢層だったら

寧ろレベルが低いぐらいだった。

でも、歌よりマシだった。

 

だから、 "そうする"しかない。

 

次に私が私に言い聞かせるのは

今やってるレッスンはカラオケの得点でイキるため

聴音技術を上げて旋律を考えやすくするため

 

歌うのは機械か他人で良い、その方が良い。

私が歌う必要はない。

 

ワイパックス合わねえ